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つちや品子のあゆみ
       
1952〜1976年
誕生から独立まで
1976〜1979年
独立、仕事、社会へ
1979〜1996年
海外見聞録
1995〜2000年
衆議院議員に初当選
2000〜2003年
衆議院議員
二期目の当選
         
2003〜2005年
衆議院議員
三期目の当選
2005〜2009年
衆議院議員
四期目の当選
2009〜2012年
捲土重来を期して
2012〜2014年
衆議院議員
五期目の当選
 
         

■1952年(昭和27年)2月9日に誕生誕生
 父 土屋義彦 母 栞の次女として誕生しました。
 写真を見てもわかる通りの容貌で、だれもが「元気 なお坊ちゃんで」と褒めてくれたそうです。
 病院の籠からはみ出るほどの元気で大きな女の子だったそうです。
 生後6か月の土屋品子です。

■いたずら盛り
 いたずら盛り手におえないほどのいたずらで生傷が絶えず、親を困らせたようです。
 お正月に着物を着れば火ばちで袂をこがしたり、何かに引っ掛けて破幼稚園いてしまったり・・・

 1958年(昭和33年)春日部幼稚園の卒園。
 お友達が大勢いる幼稚園に通うのは大好きでした。



 動物もお友達 動物もお友達で、学校の帰りに橋のたもとで拾った子犬をランドセルに入れて帰宅し、かわいがりました。
 母はそれも教育の一環と思ったのでしょうか「犬以外の動物も飼ってみたらということで、ウサギやモルモット、ジュウシマツやカナリヤなども家族の一員に加わり、裏のたんぼに出かけウサギの餌を探したり、それは忙しい小学校生活でした。

■見よう見まねでご飯炊き
 小学校の四年生になった頃、母がPTAで出かけている留守に姉と相談して見よう見まねでご飯を炊いてみようという事に成りました。
 水っぽいご飯になってしまったので、怒られるにちがいないとこわごわ母の帰りを待ちました。
 母の反応は「まあ、上手にできましたね。」「こんなに上手にできるのなら毎日ご飯炊きをお願いね」と言われたのです。
 姉と私はうれしくて面白くて有頂天になり、翌日から母の指導で本格的なご飯炊きが始まりました。その頃はかまどが主流でしたから裏山での杉の葉拾い、薪を細く割ることも覚えました。
 朝はバケツを持って庭にできた畑で毎日野菜の収穫です。
 杉戸町の母の実家にも出かけて田植えや稲刈りも経験しました。
 これらの経験が、国会議員になる前に料理研究家として仕事をさせていただいた原点なのかもしれません。

■おけいこ
 このご飯炊きがきっかけとなり次々におけいこ事が始まりました。
 母は生け花と茶道は叔母に私たちの事を託しました。書道教室、お絵かき、ピアノにも通いました。
 母は「子供がやってみたいと言ったことは、必ずやらせてあげる事が重要で、いずれ本人が興味のあるものに絞るはず」と後年語ってくれました。

■1959年(昭和34年)~
■父が県議会議員に
 昭和34年、私が7歳の時に父が県議会議員に初当選しました。
 昔の選挙運動は大変で、毎日家にお客様が大勢みえて宴会でした。
 中学生になって明日は学期末試験という日でも、お客様がお酒で良い気分になったのか座敷から手拍子と歌声が聞こえてきます。父は「別れの一本杉」を良く歌っていましたが、いつのまにか大人の歌を覚えてしまい、今でも歌うことが出来ます。下戸の父は酒席が結構大変だったようです。

■通信簿
 中学に入った頃からいつの間にか通信簿を親に見せなくなりました。学期が終わっても両親が見せるようにと言わなくなったため、これ幸いという事に成りました。
  後年父は「俺の子供だから大体わかっているよ」とだけ言ってあまり気にする様子もありませんでした。

■1965年(昭和40年)~
■父が参議院議員に初当選
 私が、中学2年生の時、父が参議院議員に初当選しました。
 選挙区が一気に広がり埼玉県全県となったわけで、父の代理で母の外出も多く姉妹二人だけで留守番となります。
 宴会の後は皿洗いというように、あわただしくも活気のある毎日でした。
 どういうわけか姉も私も皿洗いが大好きで、その役割を毎日取りっこして挙句の果てに大喧嘩になりました。

■1967年~1970年(昭和42年~昭和45年)写真部
■高校時代の部活動は写真部でした
 高校の体育祭では写真班として活動しました。
 夜暗くなると自宅の台所で現像から焼き付けまでして楽しみましたが、母は現像液のにおいが嫌だったようです。

アルバイト■冬の間はスキー場でアルバイトをし過ごしました
 高校2年から大学卒業まで毎冬、八方尾根のスキーロッジで友人たちと皿洗いのアルバイトをしながらスキー三昧、ロッジに集う小学生のスキーのコーチも務めました。




■1968年(昭和43年)
■軽自動車免許証取得
 私が軽自動車免許を取得したのは16歳の年でした。翌年から年齢が若すぎるという事でこの制度は改正になりましたから今でいう駆け込み取得という事でしょうか。
 高校の制服姿でおさげ髪の私は学校の帰りに自動車学校に通いました。
 車が大好きで、運転は全く苦にならず、今でもどこにでも車を運転して出没しています。歳をとったら免許証があったほうが、行動範囲が狭まらず移動に便利と思います。

■1970年(昭和45年)女子大
■制服がある女子大でした
 私が入学した聖心女子大学には制服がありました。写真の右端が私です。カトリックの学校という事もあり何事も地味で堅実、一生のお友達が出来ました。


■夏休みに、陸上自衛隊に体験入隊陸上自衛隊に体験入隊
 大学1年生の夏休みに1週間程の日程で陸上自衛隊の女性自衛官(WAC)として体験入隊しました。馬乗りから機関銃の扱いまで様々な体験をしながら女性自衛官と接する機会に恵まれました。年齢が自分とほとんど変わらない彼女達が使命感を持って活動しておられる姿を垣間見て、感銘を受けました。
(右から2番目)

■1971(昭和46年)頃~
■夜は専門学校に
 大学時代を通して夜は食に関する専門学校に通いました。
 母は私が小さい頃から「将来は自立して、自分の事は自分で責任が持てるような人生を」と言い続けました。
 父が政治家という不安定な職業に就いたため、子供の将来に対しては責任が持てないかもしれないので、できる限り子供が自立できるよう様々な経験をさせて親の元から巣立ってほしいと考えたようです。
 食べることが生きる上での根源と考え、迷うことなく食に関する勉強を本格化させました。

     

■1972年(昭和47年)ヨーロッパ見聞
■夏の3か月間、ヨーロッパに出かけ見聞を広げる
 パリのカフェでくつろぐ20歳の私。アルバイトをして貯めたお金と親からの援助を糧にヨーロッパに。フランス人の生活に対する哲学「アール・ドゥ・ヴィーヴル(芸術生活)」を肌で感じたことは今でも宝です。生きる根底をなす日々の暮らしこそ楽しく創造的であって欲しいという考えは日本人が昔から持っていた四季を慈しむ精神と共通しているように感じました。
 20歳の私が、生きる原点を見つけた瞬間です。
 この3か月の間にパリの地区ごとにある生活教室のような学校に通い、料理から椅子のカバーの変え方、カーテンの縫い方等フランス人の生活の知恵を学びました。

■1973年(昭和48年)カリフォルニア知人宅
■夏はカリフォルニアの知人宅に
 翌年の夏休みを利用して米国カリフォルニアの知人宅にホームスティしました。
 カリフォルニアの太陽を浴び裏庭に植えられた野菜や果物のおいしさ、合理的なアメリカ人の生活に触れました。
 私のアメリカのお母さんともいうべきこの家の女主人は不動産会社の社長です。
 主にライフスタイルの変化で生じる住居探しやリフォーム等の仕事に取り組んでおられましたが、女性不動産屋さんイコールライフコンサルタントのような立場で近所の人たちから頼りにされ、その地域の名士といったところでしょうか!
 各家庭の事情にも詳しいわけですから頼りにされるのも当然です。  

■1974年(昭和49年)
■大学卒業の秋㈱フラワーメモリー設立
 9月に㈱フラワーメモリーを都内に設立しました。四季を愛ずる「あなたのお抱え花屋さん」をコンセプトに花に関するあらゆる要望に応えていこうとしました。
 とは言っても現実は厳しく配達員が足りない土砂振りの雨の中、ナビが今ほど発達していない時代、アレンジメントをやっとお届けした頃はすっかりあたりが暗くなっていました。
 現在も花に関する教育事業等、粛々と運営しています。  

■1976年(昭和51年)~
■栄養士資格等取得
 大学卒業後に入学した香川専門学校栄養士科を卒業、栄養士資格取得、その後香川栄養専門学校製菓専門科を卒業し、製菓衛生士取得、調理師資格取得、華道小原流一級家元教授資格取得等
 恵比寿中華学院職業科修了  

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